1. 米海兵隊員による少女暴行事件を契機に沖縄県民の怒りがピークに達し、米軍基地の撤廃運動に発展した96年1月、自民・社会・さきがの連立による第1次橋本内閣が発足した。
    橋本が掲げたのが「米軍基地の整理・縮小を求め、その解決に全力を尽くす」だった。
    1か月後、当時のクリントン大統領との首脳会談で、橋本は外務省の反対を押し切って普天間基地返還を要請する。橋本の『本気』を見て取ったクリントンは、国防長官に「検討せよ」と指示、 わずか2か月後に日米合意に達したという。
    米国から帰国した橋本と田中が2人きりになったとき、橋本は返還要請した経緯について田中に次のように洩らしたという。
     「沖縄の人たちが可哀そう過ぎるもん。戦争中も戦後も、われわれの犠牲になってくれた。
     できるだけのことをするのは当然だよ。言うか、言うまいか、眠れなかった」
    田中は「それを聞いて、それまでのポマードを付けたキザな人という印象で片付けていたけど、 一変した。橋本さんに対する評価、総理の真情を見た」という。
    さて、問題はここから。鳩山首相は当時、新党さきがけ代表幹事として政権与党にいて、 沖縄基地問題の協議にも参加していたという。
    田中は「与党の中枢にいたわけだから、その合意には当然責任がありますよね。その方向から近づくならいいが、卓袱台ひっくり返す感じになった。勉強が足りなかったなら、(総理に) ならなきゃいい。総理は勉強するためにあるんじゃないのだから」と斬って捨てた。